5.山車について.その2
「広報えどさき」353号より.1987年11月
山車(その2)

山車曳きや、阿波(佐原)囃子などが、江戸崎祇園に取り入れるようになった年代については定かでないが、

これまでの聞き
取りの結果をまとめてみると…。

(1)祇園祭が盛んになるのは、昭和に入ってからで、いわゆる

”御大典”(天皇の即位=昭和3年)
以降であること。

(2)このころから、阿波(佐原)囃子が取り入れられるよう

なる。

それまでは「ひょっとこ」が中心であったこと。

(3)毎年山車を曳く町内は、本宿、戸張ぐらいのものであった、

とのことです。


戦前は、各町内とも佐原をはじめ、近隣の村々の囃子連(芸座連)を頼んでいたが、終戦後は、諸般の事情

で頼むことがしだいになくなり、町内で芸座結成の機運が高まって、浜、西町をはじめ
として、現在はほと

んどの町内に結成されている。

現在、山車は9 台あるが、廻り山車と言って中段から上が自由に向きが変えられるよう

に作られて
いる。ちなみに、廻り山車の元祖は、西町の山車で、名工岡本仙助(4 代目又兵衛)の作りと言

れており、欄干が前と左右の三方に、約1 尺5 寸ほど(45.5cm )せり出すように工夫された、総欅作りの

立派なもので、製作年代は幕末期の嘉永(1848 〜)から、文久年間(1871〜1867 )
と推定される。

山車を曳くか否かは、各町に一任されている。

戸張町の場合は、毎年7 月1 日(当番町の場合は6月1 日)に全町会議を開き、次の事項について審議する。

(出席できない場合は、委任状提出)

(1)軒提灯の件

(2)掛だれの件(例年通り縄を張り掛だれをつける) 

(3)出入行儀の件(例年通り酒、するめ、豆腐で実施)

(4)御供の件(区長、祭典、町代、御信心のかた)

(5)大電灯の件(例年通り詳細は世話人一任)

(6)軒提灯張替の件(各戸で注文)

(7)余興の件(26 日、27日山車を曳く。一戸1 名参加を原則とし、年齢は16 歳〜50 歳までとする。

不参加の場合分担金を徴収)

(8)その他※( )内は決定事項

7 月の初旬、鹿島神社で各町の祭典係、世話人が集まり、神輿の渡御、山車の運行などについて打ち合わせ、

その後、警察と世話人との連絡会議が持たれている。祭礼当日は、時間帯によって
交通規制がされ、

「歩行者天国」となる。以前は、26 日の日にも山車が御神輿を大宿まで出迎え
に行き、神輿に供奉して

各町内を廻っていったようであるが、現在は、2つのコースを設定し、
A ・B のグループに別れ各町内を

廻っている。

山車が「ハナ」(祝儀)をいただいたときは、山車の正面をその家に向けて礼をする。

(現在は、町内が決めたコースを廻っている)みどころは、夜9 時ごろから町の中央十字路に勢揃いをして

“たたき別れ”をするところで、各
町内の山車が、当番町の順に従い廻しを行い、それが終わると、山車全

部による“たたき別れ”
と言って、それぞれの囃子連が最も得意とする曲を同時に演奏し、技を競い合う。

諸般の事情から、現在は10 時過ぎには終了するが、戦前(27 日の日)は別れるころには、夜も空けること

が、珍しくなかったと言われている。

28 日は、“お日待ち”で後日、各戸に鹿島・八坂両神社から「広前家内安全の攸」のお札が配られる。



〈山車〉編をまとめるにあたって、石井憲治氏、岡本辰雄氏、柏崎市郎氏、秦野万吉氏(五十音順)
ご教示を頂きました。

参考文献

  • 「郷土芸能」茨城の民俗第7 号(和泉田冨美麿)
  • 江戸崎の祇園祭(町教育委員会)
  • 鹿島・八坂両社祭典記録(昭和33 年「町勢要覧江戸崎」
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