3.神輿/第2日目(宵祇園)/第3日目(本祇園)
「広報えどさき」351号より.1987年9月
第2 日目(宵祇園)

この日は、神輿を担ぎ町内を巡行する。巡行路は、明治28 年両社祭典記録に「当家より村社に至り

夫より八坂神社鳥居前にて10 分間、次に戸張町四っ角にて20 分間、次に門前外れにて10 分間、

次に御浜降りは前規により執行し(15 分間)、次に西町外れに於て犬塚に向け10 分間、各其時間

毎に御詔刀(祝詞)を奏け夫より主座悠々御鎮霊可致事」と記されてある。現在は、神輿の担ぎ出し

をせず、終日御仮屋に飾って置く。但し、戸張町の場合一部簡略化して実施
し、昭和56 年の例を

挙げると次のようになる。

御仮屋(祝詞、御神酒)→田宿(中村歯科医院前)→折返門前(祝詞、御神酒、休憩)→折返戸張(下)

→新宿(下)→浜(祝詞、御神酒、休憩)→折返新宿(上)→根宿→切通→西町(祝詞、
御神酒、休憩)

→折返四っ角(祝詞、御神酒、休憩)→御仮屋(祝詞、御神酒)。


第3日目(本祇園)

神輿の遷御に先立って、“お田植祭”が行われる。

先駆として、神官のお祓いを受け,五色(青、赤、

黄、白、黒)幣束を背中に立てた「神馬」を、

仮屋から八坂神社まで走らせる。

(最近では、大宿、西町が実施)お田植祭は、当番

町の若衆による仮装行列という形で行なわれ、
籠に

入れて運ばれた稲苗を八坂神社に奉納する。

次に、ころあいをみて、祭典係神輿頭は、次の当番町まで獅子などの準備が出来た旨、出迎えにいく。

出発前に祝詞奏上、御神酒奉盃の儀があり、手締め、獅子の異常
の有無を点検し、鹿島神社まで獅子

が先導する。

当時の役割番組(列順)は、(1)獅子、(2)高張提灯、(3)榊持、(4)賽銭箱、(5)神輿、

(6)太鼓、(7)神官、氏子総代、各町役員となる。

神輿が鹿島神社に到着すると、神官による祝詞奏上があり、すべての明かりが消され、白布マスクをした

神官によって、御神体が本殿に納められる。

そして、祝詞奏上、御神酒奉盃の儀があり、休憩(夜食)後出発する。神輿が八坂神社に到着すると、

天王町若衆の先導で左回り(時計回り)に、神殿の周りを3 度回って安置され、鹿島神社と同じ
要領で

御神体を本殿に納め奉る。
(この時、お囃子の演奏をやめる)

御神酒奉盃の儀後、当番町祭典が、神官の前に三つの盃を乗せた
三宝を置き御神酒を、注ぎ、沼田の

両山岡家の当主が謡をうたう。

最初は、「邯鄲」という曲で終わると「一懇目の盃をちょうだい致します」といって飲み干す。

次に、「高砂」(二懇目の盃)、最後は、「千秋楽」(三懇目の盃)で、終わると神官のあいさつがあり、

手締めをして3 日間に渡る祭礼は、めでたく千秋楽となります。
御神体を納めて空になった神輿は、

鹿島神社まで運ばれ社務所立合いで、異常の有無を確認し、
明年度の当番町(受当)に引き渡す。

(神輿の格納、御仮屋の取り片づけは、受当が行なう。)
〈神輿〉編は、当番町の祭典係を務めたとき、

メモしておいたものを基に、石野文雄氏、千田正光氏、
矢口光次氏、山岡薫郎氏(五十音順)の御教示、

御協力を得てまとめたものです。
  • 「水の民俗」茨城の民俗第14 号
  • (和泉田冨美麿)
  • 江戸崎與誌
  • 茨城県神社誌
  • 江戸崎の祇園祭(町教育委員会)
  • 鹿島・八坂両社祭典記録(昭和33 年「町勢要覧江戸崎」
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