2.現在の江戸崎祇園祭について
「広報えどさき」350号より.1987年8月
現在の祭の執行、形態は、明治初期から末期にかけて、関係者などが協議し、順次整備されていったようで、
これらを基本として運営されていると言ってもよい。

1 )旧正月14 日初市神祭之事

神官、荒宿町、当番町の祭典、世話人が参加し、鳥居下参道で鯉を供える儀式があり、続いて拝殿で本殿祭

(祇園始めの行事)が行われる。

なお、かつてはこの日に、浜町の川岸で川浸しの神事(お尻を川に浸して清める)が行われていたという。
2 )旧6 月20 日村社並に浜川岸へ七五三下之事
(いわゆる当締のこと)

5日前にお浜下りの神事として行われる。

このことについて、長い間かかわってきた

石野家当主の話を
まとめてみると、

次のようになる。

当日の午後、神官、氏子総代、荒宿町、

当番町の祭典、世話人が


石野家に集まり、川岸に祭壇を設け供物を供える。祝詞奏上の後、舟に乗った神官を「天王棒杭」

(常時2 本立っていた)

まで運ぶ。川に入った神官は、杭に藁を吊った注連縄を張り、水中から一握りの藻を取ってくる最後に

御神酒奉盃の儀があり、祇園祭が無事執行されることを祈願する。

(藻は、神社に持ち帰り神前に供え、さらに、神社の鳥居にもしめ樽のついた注連縄が張られる。)

なお、藻を取り神に供える神事は、24 日までの5 日間続けられていたが、諸般の事情で20 年前から

中止され、現在は初日(7月20 日)に、引舟橋付近の小野川から藻を取り、神前に供えているという。


(3 )7 月25 日〜27 日祇園祭

〈神輿〉第1 日目(お迎え)神 輿は、御仮屋から当番町によって八坂神社まで運ばれ、神官の祝詞奏上後、

すべての明かりが消され、白布のマスクをした神官によって御神体が神輿に移される。
この時、大太鼓と

笛による囃子が始まる、ゆっくりとした重みのある囃子で、お仮屋に鎮座するまで
続けられる。

また、当番町祭典係(2 人)は、神官のもつ杯に二度神酒を注ぎ(同じ動作を二回くり返す)、さらに

二手に別かれて、神官、当番町、氏子総代、天王町役員に神酒を差し上げ、終了後、当番順に
町名を呼び

上げ(一番○○町のごとく)、各町世話人に神酒を差し上げ、町名の書いてある番号札と
合力代(負担金)

が書いてある紙の入った封筒を渡す。

さらに、これが終わると、祭典係2 人が交互に神酒を酌み交わし、最後に神官へ同じ要領で神酒を差し

上げる.
そしてすべてが終了すると、天王町役員の先導で出発する。

(各町の役員は、町内境界で神輿を出迎え、順次引き継ぎ先導して行く)

なお、鹿島神社でも同じような要領で、御神体が神輿に移され、御神酒奉盃の儀が行われ、休憩後出発

する。
やがて、神輿がお仮屋に近づくと、焚上げといってお仮屋の前に高く積まれた藁に点火される。

神輿は、燃え盛る炎のまわりを7 回まわり(時計回り)、お仮屋に鎮座する。

この間、各町の若衆や信者が、注連縄を腰に巻き、滝を浴びて、駆け足で御神滝と神輿の周りを7回往復

する。焚 上げの灰は、みんなが争って集め、田にまいて豊作を祈ったり、神棚に上げて家内安全・
商売繁盛

を祈ったりする。また、この灰を身に付けていると健康になると言い伝えられてもいる。

神と火と水は、大変深いかかわりをもっているが、同時に行われることは、大変珍しいことであるといわれ

ています。

神 輿がお仮屋に鎮座すると、これまでと同じような要領で御神酒奉盃の儀があり、
神官のあいさつがあって

第1 日目が終了する。

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