なお、町史編さんの仕事に関連して、大念寺にある古文書を調査中、安政4年(1857)6月26日付
の日鑑(日記)に、次のような記事がある。
「天王様御祭礼当年者惣普請出来ミコシモ新調ニ付当山門前ニ而相休」云々。また、「茨城県神社誌」
の八坂神社の項に、「天正年中の創立で、牛頭天王と尊称、鎮座地を信太郡天王村と呼んだ。
元和年中社殿焼失して詳細不明であるが、社伝に天正年中6 月、木村某「たわめき」の流れに網を打った
ところ、一天拵かにかき曇り、水中放火ただならぬことに驚き、早速揚げたら現に崇敬する神霊であった。
真菰に包み奉戴帰宅の途中、豪雨流れるが如し、家迄戻れず「やけぼう」にかけこんだ。
三昼夜雷電止まず、早速天王の社地に仮宮を設けて奉斉した。
以上、限られた資料ではあるが、
(1)江戸崎の祇園祭は約400 年前の天正年代にはじまったこと。
(2)本町と戸張町が交互に当番を勤めてきたこと。
(3)現在使用されている御輿は、約130 年前の安政4 年 に造られたこと。
(明治26 年に化粧直しをしている記録あり)などがわかります。
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